2025/08/13 / Author: 企画百貨

*noteに投稿した記事を転載しています
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2025年8月、はじめての正社員が入社しました。
会社は設立2期目、企画百貨という社名で愛媛県今治市に立ち上げ、代表をしています。
メンバーは私と妻の2人に、パートが1名。そこに正社員1名が加わりました。
会社を設立するとき、自分のなかで決めていたことがあります。
それは、かつて大学生だった頃の自分が「ここで働きたい」と思える会社をつくること。
そう思ったのは、やりたい仕事を選ぶために地方から東京に出た経験があるからです。
会社をつくるなら自分が仕事を受けるためだけの箱ではなく、地方から人を育て、輩出していける存在になりたい。
なぜ私が地域で企画とコミュニケーション支援の会社をつくろうと思ったのか、これまでの歩みとともにお話しさせてください。
地方の学生がPRに興味を持つまで
企画百貨では、企業や団体が抱える課題解決のためのコミュニケーション支援をしています。
その軸足にはパブリックリレーションズ(PR)の発想があります。
PRは、あらゆるステークホルダーとの関係構築の技術です。単なる情報発信ではなく、自社ごとと社会ごとの重なり合う部分を見出すことで、共感や応援を集めながら情報流通を促すプロセスとも言えます。
そんなPRとの出会いは、10年ほど前の学生時代。
地元の岡山から島根大学に進学した私は、大学生協の新入生サポートスタッフという活動に参加します。
一人暮らしをはじめる新入生に、物件紹介や生活用品の販売、食生活のアドバイスなどを行う活動で、先輩たちが楽しそうに学生生活を語る姿に惹かれ、入学後に参加しました。
アドバイザーの仕事に加え、スタッフの採用や研修づくりなどの運営にも関わり、日々会議や研修に明け暮れる日々。
100名超のスタッフがさまざまな動機で参加していることもあり、スタッフ同士の意見の衝突や中途離脱といった“人の問題”にも直面しました。
そのときに気づいたのは、スタッフ一人ひとりがこの活動のブランドを表現するメディアだということ。
そして、インナーコミュニケーションの土台があってこそ、対外的にも良い評判や魅力が伝わり、その積み重ねでブランドができていくことです。
「それって、PRなんだ」と気づいたのは、本屋で手に取った一冊の本がきっかけでした。
人を起点に社会との関係性をどう築いていくかを考えるPRの発想は、まさに自分が取り組んでいた課題そのもの。ここから「PRを仕事にしたい」という思いが芽生えていきました。
PRの“本場”を経て、再び地域へ
とはいえ、地方在住の学生にとって簡単な道ではありませんでした。
今ではオウンドメディアやSNSなど自社発信の手段も増えましたが、当時はメディア露出をつくることが実務の中心だったため、東京にしかない仕事でした。
それを痛感した私は東京に出ることを決め、運良くPR会社に就職しました。
クライアントの抱える課題と社会の関心事との接点を見出し、それを起点にステークホルダーを巻き込みながらコミュニケーションをしていく。
このPRの考え方を叩き込まれた経験は、いま地方にいても大切な土台になっています。
そんななか、自身のキャリアの転機となったのは第二子の誕生直後に起きたコロナ禍でした。
子育てしながらも外出がままならない生活が続いたこともあり、妻の地元である愛媛県今治市への移住を決断しました。
新卒時代から比べると時代が進み、フルリモートで働くことも当たり前に。PR・広報の仕事も、メディアリレーションズに限定されず多様化が進んでいます。
とはいえ、職種として確立されていない地方でどう働けるのかは未知数。
そんな環境のなかで、これまで自分がやってきたことをどう活かし、地域でどんな価値を出していけるのか。
フルリモートで仕事を変えずに続けることもできましたが、その土地に身を置くことでこそ見える可能性を探っていこう、そんな思いで地元に根ざして働くことを決めました。
自分の職能を軽く越えて、あいだに立ってなんでもやる。それが地方のPRパーソン
移住して最初に選んだのは、地元企業で働くという選択でした。
いきなり独立するよりも、まずは地域の空気感や働き方を肌で感じることが必要だと考えたからです。
入社したのは、創業120年近い印刷会社。
とはいえ、印刷にとどまらず、観光プロモーションやブランディング、さらにはECサイトの運営支援やふるさと納税の事務局運営など、幅広い事業を展開する会社でした。
そこで私は、営業と制作の間をつなぐ“名もなき仕事”を担っていきました。
「自分はこれの専門だから」と縦割りの意識でいては、ものごとは何ひとつ進みません。
目の前の課題に向き合い、できることを実直に積み重ねて信頼関係を築いていく。そして、少しずつ担当する仕事にPR発想を加えていくことで、介在価値を高めることを心がけていきました。
たとえば、PRと言えば商品の発売時の施策と思われがちなところを、商品の開発段階から関わることで、そのプロセス自体も情報コンテンツに変えることができる。
こうしたアプローチで新しい仕事に結びつけたり、事例を作ることで社内にも必要性を感じてもらえるようになりました。
一つひとつの施策を繋ぎ合わせ、コミュニケーションのコンセプトを設計したり、複合的な仕事の進行を円滑に進められるようにディレクションしたり。結果として、そのプロジェクトの成果もより良いものにつながっていく。
こうした“あいだの仕事”に自分の役割を見出すなかで、「もっと自分なりのやり方でやってみてもいいかもしれない」と思うようになりました。
こうして、2023年9月に企画百貨を立ち上げました。
10年前の自分が選びたかった会社を、地域につくる
会社を設立して以降、ありがたいことにさまざまなご相談やご依頼をいただいています。
現在は、愛媛県内をはじめとした地域の仕事と、首都圏の仕事の割合は半々ぐらい。より良いシナジーが出せるよう、バランスをとりながら関わっています。
地域・ローカルでは「PR・広報はこういうもの」という定義や「ここから先は別部署なので」といった区分けもないことも多いです。
そのため、より幅広いご相談にお応えしていけるように、会社の体制や仕事の受け方を考える段階になっています。
そんな時に良いきっかけがあり、新たに正社員を迎えることになりました。
最初は夫婦で立ち上げた会社でしたが、「地域のなかで、人を育て、送り出せるような存在になりたい」。その思いはずっと持っていました。
10年前の自分のように、地方からでもPRの技術を身につけたいという人の受け皿になれないか?
ただ、自分が東京で身につけたことをそのまま地域に持ち込んでも上手くいかないと感じています。
だからこそ、その土地に根ざしながら、必要とされる形にローカライズしていくことが重要だと感じています。
PRの技術はしばしば属人的だと語られますが、私は決してネガティブなことではないと考えています。
生成AIが普及し、提案内容の平準化が起き始めている今こそ、差を生むのはその人自身の経験や意思ではないでしょうか。
“あいだに立つ仕事”であるからこそ、人の介在によってレバレッジが効くことも多いはず。
属人的であることを恐れず、人の介在価値を信じる会社でありたいと思っています。
「10年前の自分が選びたかった会社を地域につくる」。
かつての私のように、地域でもコミュニケーションの仕事をしたいと思っている人が、その技術と経験を積める場所になれたら。
そんな思いとともに、これからも企画百貨という場を育てていきたいと思っています。